Iris / BUMP OF CHICKEN
令和6年9月4日発売
01. Sleep Walking Orchestra
02. なないろ
03. Gravity
04. SOUVENIR
05. Small world
06. クロノスタシス
07. Flare
08. 邂逅
09. 青の朔日
10. strawberry
11. 窓の中から
12. 木漏れ日と一緒に
13. アカシア
■前作オリジナルアルバム『aurora arc』から時を経ることおよそ5年、記念すべき10作目のオリジナルアルバム『Iris』が発売になりました。
このアルバムタイトル”Iris”という言葉について、最初に意味を知ったのは、”イリス”と読み、ギリシャ神話に登場する”虹の女神”という意味でした。BUMP OF CHICKENの楽曲には、”虹”という言葉が出てくる歌が時々あって…例えば、【ハルジオン】【虹を待つ人】【月虹】、このアルバムの中にも、【青の朔日】や【なないろ】など…BUMP OF CHICKENと”虹”には、何か縁を感じることができるので、この”Iris”というタイトルにも納得がいきました。
ただ、ここでいう”Iris”という言葉は、どうやら”アイリス”と読み、その意味は”虹彩”(こうさい)なんだそうです。”虹彩”(こうさい)とは、wikiを参考にすると、瞳の中の色のついた部分…瞳孔が真ん中にあって、その周りを取り囲んでいる(日本人であれば)茶色い部分のことだそうです。その虹彩が動くことで、瞳孔の大きさを変えて、網膜に入る光の量を調節するのだそうです。
■ということで、このアルバム『Iris』を実際に手にして聴くことになるわけですが…
そもそも、このアルバムが発表されたことに対して、そんなに胸が躍りませんでした。その理由としては、このアルバムに収録されている曲のほとんどが、もうすでに発表されている曲だからだったからです。
具体的には、僕はBUMP OF CHICKENの楽曲はほぼすべてダウンロードやCDを購入して聴いているわけですが、収録曲の中で知らない曲が2曲だけしかなく、いわゆるアルバムを買う本来の楽しみというものを感じませんでした。
さらに言えば、最近のBUMP OF CHICKENの楽曲が、自分にヒットすることが減ってしまっている…つまり、自分が好きだった昔のBUMP OF CHICKENの音楽と、最近のBUMP OF CHICKENの音楽の乖離を感じている…それがさらにアルバムを楽しみに思う気持ちが湧かないことに拍車をかけました。
■僕はもう古い人間になってしまっていると思うのですが、僕にとって、”アルバム”という作品は特別なものでした。それは、”アルバム”という一つの作品が作る世界観に浸ることが好きだったからです。
BUMP OF CHICKENにしたって、出会った頃に聴いていたアルバム『THE LIVING DEAD』や『jupiter』なんかは、その作品の世界観に浸ることができ、BUMP OF CHICKENにハマるきっかけになりました。
で、じゃあアルバムをアルバムたらしめているものは何なのか…それは、やっぱり”アルバム曲”(という言い方があるのか知らんけど)だと思っています。つまり、アルバムで初めて聴くことができる曲ですね。僕はやっぱり、アルバム曲がアルバムの世界観を作るのだと思っています。
そこへ来て、このアルバム『Iris』には、アルバム曲は2曲しか収録されていません…もっと言えば、片方はライヴですでに披露されたようなので、完全な新曲は【青の朔日】1曲のみということでしょうか。
(ちなみに、前作のアルバム『aurora arc』で初めて聴けた曲も、(多分)3曲【aurora arc】【ジャングルジム】【流れ星の正体】と少なかった)
アルバムに、既存の曲が”数曲”入っていることで、アルバム曲を引き立てたり、アルバム曲を繋げる役割を担ってくれると思っていますが、既存の曲”ばっかり”ではねぇ…既存の曲を繋げただけでは、本来はアルバム自体で作り出す世界観を感じることができなくなると思うんです。
特に、タイアップ曲ってあるじゃないですか…タイアップでとりあえずはその曲の役目を果たしているので、タイアップ曲ばっかりになった途端、寄せ集め感が強く、アルバムとしてのまとまりが一気にバラバラになる気がするんです。
■…とまぁこういう感じで、期待せずに、胸が躍ることもなくこのCDを聴きはじめるわけですが…そこで”あの曲”に出会ったわけです。
12曲目【木漏れ日と一緒に】という曲。これがめちゃくちゃ良い曲でした。
最近のBUMP OF CHICKENの楽曲の中では、間違いなく一番好きな曲…いや、歴代の曲を全て並べてみても、かなり上位に入る好きな曲になりました。ちなみに【木漏れ日と一緒に】については、結成25周年ライヴ『BUMP OF CHICKEN LIVE 2022 Silver Jubilee』にてすで披露されていたそうですが、僕にとっては初めて聴く曲でした。
■ということで、ここからは【木漏れ日と一緒に】の感想・考察を多めに話していきたいと思います。
上手く説明できないんですけど、ちゃんと4人の演奏が、小細工をそんなに加えることなく、ちゃんと聴こえてくる感じというか…まぁどの曲も4人が演奏してるので、当たり前といえば当たり前かもしれませんけど。
最初は、ギターのアルペジオとボーカルでひっそりと始まっていって、そこから少しずつベースやドラムが入ってきてリズムを刻み出す。
そこから、最後のCメロの部分は一変、ちょっと追い立てられるような雰囲気に変わって、BUMP OF CHICKENには珍しい(初めて?)転調して半音下げになります。
曲調としては、それぞれアルバム『RAY』『orbital period』に入っている【(please)forgive】【ひとりごと】のような感じでしょうか。個人的には、何かこういう感じの曲を聴くと安心します。
■そして、やっぱり歌詞ですよね。どんなに音楽性が変わっていっても、藤原さんの歌詞は、最初からずっと変わらずに好きなままなんです。
特に、藤原さんの日常の風景を切り取ったような歌詞は、BUMP OF CHICKENの音楽が一気に自分の近くに近付いてきたような感覚になります。その歌の中の登場人物になったような気分というか、自分の見てきた・経験してきた景色の中に似たようなものを探して、一気に景色が広がっていきます。
この歌の1番の歌詞も、そういう感じになっています。
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昼前の用事を済ませた体を
バスに押し込んで なんとなく揺らされる
緩やかに大きなカーブ描いて
病院の角をなぞるように左折する
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風船揺れる横断歩道 あくびを乗せて待つ自転車
最初を知らない映画のように過ぎる 窓の向こう
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藤原さんが実際に見た景色であろうか、それとも想像の景色だろうか。先述の通り、目の前にそういう景色が浮かんでくるような感覚を覚えます。
その一方で、2番に差し掛かると、歌詞の雰囲気は一変して、恐らくこの歌を作った時の藤原さんの心情を吐露したような歌詞になります。
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平気だと決めたら何だか平気な気がした
それは痛み止めみたいなもんだと解っている
感じたり考えたりから逃げて生きているうちは
ずっと修理できずにいる
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”痛み止め”、”修理”などの言葉が表すこともそうですけど、問題を先送りにしたりごまかしたりするだけでは、本当の意味では問題は解決せずに残ってしまい、ただその場しのぎでしかないということを歌っているのでしょうか。
■そして、この歌のタイトルにもなっている、この歌を象徴している”木漏れ日”という言葉について。
歌詞の中には、実は”木漏れ日”という言葉そのものは出てきていませんが、それと分かるような表現で、”木漏れ日”という言葉を表現しています。
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太陽を遮った街路樹 絶妙な加減でこぼれる光
選ばれた小さい輝きが 肩に踊る
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太陽を遮った街路樹 削れて砕けて届く光
すぐ消える小さい輝きが 肩に踊る
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”木漏れ日”というと、歌詞の通り、晴れた日に街路樹の下を歩いていくと、その街路樹の枝や葉っぱにさえぎられて、太陽の光がちらちらと輝いている様子を思い浮かべるのですが、具体的にこの歌では、何を表している言葉なんだろうと考えていました。
というところで、藤原さんのインタビューを少し引用させてもらうとすると、
(引用元 https://natalie.mu/music/pp/bumpofchicken22)
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これは2021年5月から8月までに作っていた曲です。その前に「なないろ」と「Flare」を作っていたのでずっと制作に入っていて、コロナ禍で感じること、考えることがいろいろあって。で、1回立ち止まった時期があったんです。ちょっとでっかいため息を1回つかないと動けない、みたいなときがあった。そのでっかいため息がこれですね。けっこうギリギリまで自分を追い込んでいて「ヤバい、立てない」となって。もう1回立つまでに考えていたことが言葉になっていった。
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これが、【木漏れ日と一緒に】という歌ができた経緯であるようですが、2021年というと、コロナ禍の真っ最中の状況としては一番ひどかった時期ですよね。あと、チャマ事件もその周辺でありましたが…。そういう行き詰った状況で、この歌が作られたと語られていました。散歩でもしていた時に、実際に目に入った状況などからインスパイアを受けたのでしょうか。
ただ、ここだけ読んでも、ちょっと”木漏れ日”に込められた意味を、うまく理解することができなかったんですけど、そもそもこのアルバム『Iris』が作られた意味などの部分を読むと、もう少し理解できる部分がありました。
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人それぞれに日常があって、その日常のあり方はさまざま。毎日電車に乗る人、車に乗る人、自転車で通う人、徒歩で通う人、通う先は学校、職場、バイト先、幼稚園の送り迎え、いろいろあると思うんです。家から出ない人もいるし、家の中での過ごし方もいろいろある。そういう人それぞれの日常において、自分の本質というものは心の中にあって、その心に付いている窓の中から社会とつながって日常の景色を見ている。みんな自分の心に付いている窓枠を通して世の中を生きている。
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全部読むともっと長い部分なんですが、こういう想いが、同アルバムに収録されている【窓の中から】という曲に反映されて、このアルバムが作られているようです。
だから、日常には色んな人が居て、それぞれの生活を営んでいる…そういう人々や生活が交わったり離れたりして、この世の中を作っているのだとして、そういう”日常の重なり”というものを、”木漏れ日”と表しているのだというのが、自分なりの考察です。
微妙な葉っぱのズレや、天気や風などの影響によって、”木漏れ日”の形も大きさも変わるように、人々の生活にも無限の形や可能性がある。だからこそ、その中からたった一つ選ばれた自分の日常は尊いものなのだと、大切にしないといけないものなのだということを感じ取りました。
■あと、印象に残っている歌詞としては、
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もう少し頑張れるだろうか
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これは藤原さんが自分自身に言い聞かせている言葉と捉えることができそうですが、ここの言葉も色々と考えさせられますよね。”頑張れ”でも”頑張ろう”でもなくて、”頑張れるだろうか”とね。ひょっとしたら、時と場合によっては、”もう頑張れそうにない”という言葉に繋がっちゃうかもしれないですけど、それでもそういう考える余地を残してくれているのは、藤原さんの言葉の優しさなのだと思います。
■ここからは、さらに個人的な想いですが…。
個人的には、今となってはもう音楽を聴くことは、車の運転中くらいしかなくなっていて、特に仕事の行き帰りの運転中に、音楽を聴いています。
僕は、そんなに車の運転が好きではないので、音楽を流すことで少しは気も紛れるし、まとまって音楽を聴けるチャンスなので、これはこれで少しは好きな時間になっているのだと思います。
BUMP OF CHICKENのアルバム『Iris』を買った日も、買ってすぐに車のカーステレオで流しながら帰りました。ただし、先述の通り、そこまで胸は躍ることはありませんでした。この曲も、次の曲も、その次の曲も…知っている曲ばっかりだなぁ、と。
そんな風に、運転の片手間に、アルバムを何となく聴いている感じの日が何日か続いた、そんなある日。確か、その日は日曜日だったと思うんですけど、半日くらいの仕事があったので、15時とかそれくらいには帰路についていました。車を運転していて、先述の通り音楽を流していました。最近買った『Iris』を流すことが、何だかんだ日課になっていて、その日も自然と『Iris』が流れてしました。
そんな中、ふと【木漏れ日と一緒に】が流れてきました。その頃にはもう、アルバムは何周かしていて、何度か聴いているはずの楽曲になっていたとは思うんですけど、なぜかその時はとても特別な感じがしたんです。
それは、聴いていた状況が曲にマッチしていたからのかもしれません。天気が良くて、もう9月なのに夏みたいに暑さを感じる日でした。車の中には太陽の光が差し込んできて、それは眩しさを感じるほどの陽射しでしたが、頭上を道路が通っているような場所を運転したりして、その陽射しが時々さえぎられたりして。
そして、日曜日ということもあって、歩道には学校行き帰りの生徒だったり、散歩している人が行き交っていて、それを見ながら運伝をしていると、何だか曲の中に自分自身が入り込んだような…自分と【木漏れ日と一緒に】という曲が一体化したような気分になったのです。
やっぱり、その曲を好きになるかならないかとか、その曲が急に刺さるようになることって、出会った時の状況に左右されることってあると思うんですけど、【木漏れ日と一緒に】は、ほんとに出会い方が良かったと思えています。
■ということで、大変長くなりましたが、結論としては、【木漏れ日と一緒に】がとにかく良い曲だということです。
何なら、もうこの曲しか聴いていないまでありますからね。あ、【窓の中から】も良い曲ですね、この2曲が続く部分をずっと回して聴いています。ただ、まぁなんと言っても、【木漏れ日と一緒に】ですね、この曲が入っているだけで、『Iris』買ってよかったなと、今は思えています。