間違った旅路の果てに 正しさを祈りながら

ロストマン/sailing day

 

■僕とBUMP OF CHICKENとの最初の出会いは、高校生の時でした。

 

当時、【天体観測】が発表されて、めちゃくちゃ流行りました。実際、僕が初めて聴いたBUMPの楽曲は【天体観測】でした。ただし、その時は特にBUMPにはハマりませんでした。変わったタイトルの曲を歌うバンドがあるものだなと、珍しさは感じたんですけど、藤原さんと増川さんの顔の区別もつかぬまま、その時は過ぎていってしまいました。

 

そこから少し時間が経って、僕は大学生になりました。第一志望の大学ではなかったんですけど、頑張ろう!という気持ち一心で、僕は暮らしていた街を離れて、大学に通うため、新しい街で独り暮らしを始めました。

 

BUMP OF CHICKENと再び出会うのは、そういう頃のことでした。

 


■知らない街での独り暮らしは、最初はそれなりに不安の気持ちも大きかったのですが、そういう気持ちを励ましてくれるものの一つが、音楽でした。実家から、お気に入りのCDやMDをいくつか持ってきて聴いていました。

 

そして、知らない街で真っ先に探したのが、CDやビデオのレンタルショップでした。幸いなことに、比較的自分のアパートの近くに、大きなレンタルショップを見つけることができて、そこで音楽のCDを借りて聴くようになりました。

 

ある時、そのレンタルショップで、有線か店員チョイスのプレイリストだったのか、それは定かではないんですけど、店内で流れていたとある歌が、何故か強烈に耳に残ったことがありました。

 

これも定かではないんですけど、「どっかで聴いたことあるような声だな」と思った記憶があるのです。とにかく、いい歌だな、と記憶には残ったんですけど、それがどういうバンドのどういうタイトルの歌なのかは、その時は分かりませんでした。

 

それで、家に帰って、夜中に「カウントダウンTV」を見ていた時でした。レンタルショップで流れていた歌が、ランキングを見ていたら流れてきました。そうそう、この歌だった!と、すぐに思い出せるほど記憶に残っていました。

 

そこでアーティスト名と曲名を確認すると、それがBUMP OF CHICKENの【ロストマン】という歌だということを知ったのです。

 

その時に、BUMPと言えば、そういえば高校の時に【天体観測】で流行ったバンドだったよなぁって、思い出すことはできたんですけど、そこからどうなったかは知りませんでした。だから、別に悪い意味で言うわけではないんですけど、あの【天体観測】のバンドが、こんな渋い感じの歌を歌っているんだって思いました。

 

その後すぐに、件のレンタルショップにて、シングル『ロストマン / sailing day』をレンタルして聴いたのです。

 

もちろん、【sailing day】の方も素晴らしい歌だったんですけど、【ロストマン】の方は、もうどんぴしゃで自分の胸を掴みました。

 

何ていうか、重厚で渋い感じなんですけど、暗い所から、明るい希望へと向かっていくような、少しずつ盛り上がっていく曲調が、新しい生活を始めたばかりの自分には合っていました。

 

そして、やっぱり【ロストマン】の真骨頂は歌詞だと思います。

 


状況はどうだい 僕は僕に尋ねる
旅の始まりを 今も思い出せるかい

 

こういう、語りかけるような歌詞で曲が始まるんですけど、ここもまた、新しい生活を始めたばかりの自分には合っている歌詞だと思いました。新しい生活の調子はどうだいと、優しく語りかけてくれているような気持ちになったことを覚えています。

 

ということで、前置きがとても長くなりましたが、そんな思い入れの深い曲である、【ロストマン】の歌詞の個人的な解釈を書いてみようと思います。

 

youtu.be

 


■まず、【ロストマン】とはどういう歌なのか。いくつか、それが分かるような歌詞で紹介してみますと、

 


状況はどうだい 僕は僕に尋ねる
旅の始まりを 今も思い出せるかい

 


状況はどうだい 居ない君に尋ねる
僕らの距離を 声は泳ぎ切れるかい

 


強く手を振って 君の背中に
サヨナラを 叫んだよ

 

こんな風に、”僕”と”君”の2人の人物が出てくるんですけど、この歌では、”僕”が”君”に別れを告げてるような場面、あるいは、別れたあとの”僕”の気持ちの様子が描かれています。

 

関係性は色々考えられると思うんですが…例えば、古くから一緒に居た友達や、この歌のことを知ったときの自分自身の状況をなぞれば、親の元を離れていく子どもとその親という関係など…”僕”と”君”が居て、”僕”にとって、別れを惜しむ相手である”君”と、まさに別れなければならない場面に際して、あるいは、実際に別れた後の生活の中で、”僕”がその気持ちを吐露している、と考えることができます。

 

素直に読めば、”僕”と”君”なので、その両者は別人であると考えることが自然だと思うし、思い入れのある人が誰かいるのならば、そういう人を”君”に当てはめて読んでも、おそらく成り立つようにできているとは思います。

 

しかし、結論からいうと、個人的にはこの歌詞に出てくる”僕”と”君”は同一人物を表している…つまり、”僕”も”君”も、どちらも”自分自身”を表わしている、という物語を想像しています。

 


■人は、きっと大なり小なり、日々色んな選択をしながら生きています。

 

小さいものを言えば、本当にキリがないんですけど、大きな選択と言えば、進学、就職、結婚などという、自分の人生の方向性を大きく決める選択というものが挙げられると思います。そういう様々な選択を前にして、この【ロストマン】に出てくる”僕”と”君”は、それぞれ違う選択をした同一人物だという想像をしています。

 

具体的に言いますと、

 

”僕”の方は、「現在の自分」であり、
”君”の方は、「現在の自分とは違う選択をした自分」だと想像しています。

 

”僕”の方は、より険しい道を進む選択をした自分というイメージです。

 

例えば、ある時点で、何か自分が叶えたい夢があったとして、でも頑張ったとしても叶うとは限らない…という状況で、それでも、夢を追うという道を選んだのが”僕”だというイメージです。

 

そして、その夢を諦めて、無難な道を選んだ自分が”君”であるというイメージを当てはめています。

 

自分には叶えたい夢があるのだけれど、現実を考えると、難しいかもしれないなと。だから、その夢を追うことは諦めて、無難な人生を進んでいこう、と。

 

この歌では、自分自身の中の”僕”と”君”が、あたかも別人であるように、2つに分かれて描かれているというイメージです。

 


■この歌は、”僕”(現在の自分)視点で歌われていますが、”僕”は、自分の選んだ道が正しかったのか、常に自問自答しながら(”君”に語りかけながら)も歩き続けているのですが、歌が進んでいくにつれて、少しずつ希望を見出していく、その気持ちの変化を読みとることができます。

 


状況はどうだい 僕は僕に尋ねる
旅の始まりを 今も思い出せるかい
選んできた道のりの 正しさを祈った

 

先程紹介した、出だしの1番Aメロの歌詞なのですが、ここの部分は、”僕”が”僕”に尋ねているので、素直に現在の自分との自問自答であると読むことができます。

 


君を失った この世界で 僕は何を求め続ける
迷子って 気付いていたって 気付かないフリをした

 

1番のサビですが、ここで初めて”君”という言葉が出てきます。さらに、続く2番のAメロでも、”状況はどうだい 居ない君に尋ねる”という歌詞になり、1番との対比と考えるならば、”僕”の心情としては、あの時のあの選択は、別の選択をした”君”と比べてどうだったんだろうかと、苦悩を深めていることが分かります。そういう心情を、迷子=ロストマン、と表現しています。

 

しかし、そういう想いを振り切るように、ロストマンは次第に力強く気持ちを新たにしていきます。

 


強くてを振って 君の背中に
サヨナラを叫んだよ

 


これが僕の望んだ世界だ そして今も歩き続ける
不器用な 旅路の果てに 正しさを祈りながら

 

2番のサビの歌詞ですが、ここはまさに、”君”との決別を表わしている部分だと思います。この時点で、”僕”はすでに、自分が”迷子”になっていることを自覚していますし、自分が”不器用”であることも認めているんですけど、まだ自分の旅の”正しさ”を願うことを諦めてはいないことが読み取れます。

 

それを物語る強い言葉が、”これが僕の望んだ世界だ”という部分だと思います。”君”というのは、要するに自分の”亡霊”であり、ここにいる”僕”こそが、選択した本物の自分なのだと、力強く歌っています。

 


ああ ロストマン 気付いたろう
僕らが丁寧に切り取った
その絵の 名前は思い出

 

余談ですけど、この【ロストマン】という歌は、元々は”シザーズソング”というものだったそうです。シザーズ / Scissors = ハサミという意味なので、このCメロに、”切り取った”という言葉が使われているところに当てはまると思いました。

 

ここの部分の解釈は、過去に縛られていたことからの脱却という感じでしょうか。ちょっと独特な言い回しですが、”丁寧に切り取った その絵の名前は思い出”というフレーズは、要は、思い出をあたかも綺麗なものに美化していただけだった、ということを歌っているのだと思います。思い出は所詮思い出、きれいに見えても、絵や写真のように、そこから動き出すことはありません。

 


君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ
間違った旅路の果てに
正しさを祈りながら
再会を祈りながら

 

そして、こういう歌詞で歌は締めくくられます。

 

”君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ”…”僕”は”僕”として歩いていくことを決意したわけですけど、それでも”君”も自分の一部なんだということを忘れてはいません。自分を苦しめた”君”という”亡霊”を、それでも愛そうという答えに行き着きます。

 

そして、”間違った旅路の果てに 正しさを祈りながら”という歌詞…こんな風に全く真逆の言葉をくっつける歌詞の書き方って、藤原さんの書く詞のひとつの特徴だと思います。

 

そもそも、この歌の中に出てくる、”間違った”や”正しさ”ってどういう意味なんだろうって思います。

 

本当は、その道を選択しただけでは、その道が正しいか間違いかなんて、誰にも分からないでしょうし、そもそも、ある時点では”間違っていた”と思ったとしても、そこからもう少し歩いたら、また光明が見えてくるかもしれません。答え合わせを、どの時点でするのかによって、変わってくると思います。

 

だから、大切なことの一つとしては、”自分が選んだ”ということを信じるしかないんだと思います。この歌の歌詞だと、

 


これが僕の望んだ世界だ そして今も歩き続ける
不器用な 旅路の果てに 正しさを祈りながら

 

この辺りに、一番強い気持ちを感じます。自分が選んだ道を信じること、それこそが最終的にロストマンが辿りついた答えだったのでしょう。

 


■ちなみに、【ロストマン】制作については、この歌の作詞作曲を行った藤原さんは、【ロストマン】の作詞に、実に9ヶ月もの時間を要した、という逸話が知られています。

 

9ヶ月間もずっと一つの曲の詞を考えているって、どういう心境になるんでしょうか。どっかで、これでいいやって思っちゃうこともあると思うんですけど、そう思わずに、真摯に向き合って書いたんだということは、この9ヶ月という長い時間が物語っているように思います。

 

本当に【ロストマン】の歌詞は、完璧というか緻密というか、どこにも無駄なフレーズがない気がするんです。僕自身の想像も大いに含めていますが、”僕”と”君”の対比のからくりとか、本当に秀逸だと思います。

 

もっとも、長い時間をかけても、良い歌詞が出来るとは決して限らないとは思うんですけど、それでも【ロストマン】の歌詞を読むと、かけた時間の分だけの言葉の重みが伝わってきて、9ヶ月は必要な時間だったのだと思うことができます。

 

だから、ここまで書いてきて、はたと思うんです…”ロストマン”とは、紛れもない、藤原さん自身でもあったのかなって。

 

音楽の道を選んだ自分を”僕”、選ばなかった自分を”君”として、しかも9ヶ月もかけて、一番自問自答を繰り返したのは、他でもない藤原さん自身なのでしょう。

 

長い時間をかけて生み出された【ロストマン】という歌…苦悩も覚悟も詰め込んだ、これでもかというくらい人間くさい名曲です。