「どうにかなるさ」って言える あなたにとっての1が 見つかりますように 見つかりますように

七号線ロストボーイズ (完全生産限定盤)

 

■現時点では、amazarashiが発表した中で一番新しいアルバムである『七号線ロストボーイズ』。発売されたのは、もうおよそ半年前になりますが、未だにヘビロテして聴いています。

 

いつだってamazarashiの作品を聴く時は、姿勢がぴしっとなって、ちゃんと聴かないと、という気持ちになります。それは、amazarashiが、歌詞…つまり伝える言葉にずっとこだわって歌ってきたから、その一言一言を聴き洩らさないように、ちゃんと受け取らないと、と気持ちが研ぎ澄まされるのだと思います。

 

今年に入って車通勤に変わったため、音楽を車の運転中に聴くことが多くなりました…というより、その時くらいしか、音楽を聴く時間も気力もないだけですけどね。自分が家に帰る頃には、もうすっかり夜になっていることがほとんどなのですが、運転しながら夜に聴くamazarashiが、やけに心に染みて、一日を振り返りながらいつも家に帰っています。

 

アルバムの収録曲にはたくさん良い曲があって、その全てを紹介したいとは思ってはいるし、また、amazarashiのアルバム自体が、その1枚ごとに世界観を創り出しているので、その収録曲1曲を取り出して紹介…みたいなのが相応しいことなのかは分かりませんが、それでも、どうしても特別に紹介したい曲が1曲あるので、それに今回は焦点を絞って話をしてみたいと思います。

 


■アルバムの10曲目に入っている【1.0】という曲。

 

youtu.be

 

アルバムの楽曲は、どの曲も本当に素晴らしいのですが、この【1.0】という曲が、個人的にはこのアルバムのハイライトであり、一番心を揺さぶられた曲でした。

 

おそらく、そのまま”イッテンゼロ”、”イッテンレイ”などと読めば良いんだと思うんですけど、歌詞を読む以前に、この特徴的なタイトルだけでも色々と考察しうることがあるんです。

 

改めて調べてみたのですが、amazarashiは今からおよそ13年前…2009年にミニアルバム『0.』(読みは、これも素直に”レイテン”なのかな)を発表しました。その頃は、まだバンド名も平仮名表記で”あまざらし”だったようです。

 

そのあと、バンド名を”amazarashi”と変えて、先の『0.』という作品にボーナストラックを追加した、(おそらく初?)全国流通版であるミニアルバム『0.6』を発表しました。ちなみに、この『0.6』で僕は初めてまとめてamazarashiの曲を聴きました。

 

そしてさらに、2012年には、ワンマンライヴ『amzarashi LIVE「0.7」』を開催…という流れがあったようです。

 

そうして、今回のアルバムに収録されたのは、【1.0】という曲…長い時間が経っていますが、何となくこの辺りにひとつながりの流れを感じざるを得ません。

 

【1.0】には、こんな歌詞が出てきます。

 


きっと0か1でしかなくて その間に海原が広がり
泳ぎきれずに藻掻いている 生きたがりの亡霊たちが
凍える心に声も無く 消えたい願いすら叶わず
死にたいなんてうそぶいたって 対岸の灯が眩しくて

 

”0.”から始まって、”0.6”、”0.7”を経て、ついに”1.0”へ…安直ではありますが、数字が少しずつ増えているところで、この【1.0】という曲が、amazarashiが、秋田ひろむさんが歩んできた歴史を、自ら歌っているように思えて仕方がありません。

 

直感的にですが、”0”からはスタートを、”1”からはゴールを想起しますが、ともすると、その間の”0.6”や”0.7”は、スタートとゴールの途中を意味しているのだと考えることができそうです。

 

”きっと0か1でしかなくて その間に海原が広がり”からの”泳ぎ切れずに藻掻いている”という歌詞…”0”からスタートして、まさに藻掻くようにその音楽人生を突き進んできたamazarashiや秋田さんが、長い年月をかけて、今【1.0】という歌を歌っていることを考えると、非常に感慨深いですよね。

 


■ただ、具体的に”1.0”とは何を表しているのでしょうか。別の部分の歌詞を紹介してみると、

 


あれから色々あったけど こちらは変わらずにいます
いつも手紙感謝します
少なくともあなたは1です 僕にとってあなたは1です

 

まずは出だしの部分です。ここで”少なくともあなたは1です 僕にとってあなたは1です”という歌詞が出てくるのですが、”1”というものに”あなた”という人物を当てはめていることが読み取れます。

 

例えば、秋田さんにとって”1”とは何なのか、と思い浮かべた時に、ひとつ考え付くものとしては、我々のようなamazarashiの楽曲を聞いているリスナーがあるような気がします。

 

どこからをamzarashiのはじまりと数えるのかは分かりませんが、秋田さんの活動は少なくとも15年近くに渡っています。長きにわたって、力強い言葉で歌を紡いできた秋田さん…その発信源であるamazarashiを”0”とするならば、その歌が最終的に行き着く”1”にあるのは、他でもないリスナーであり、そこを目指して秋田さんは歌ってきたはずです。

 

もちろん、秋田さんにとって、”あなた”という言葉に特定の人を込めた可能性もあるとは思いますが、僕ら一人一人が聴く分には、そこを詳細に窺い知ることはできないので(少なくとも僕にとっては)、その言葉のすべてを自分たちに当てはめながら聴くはずです。まぁこれは、amazarashiに限った事ではないですけど。

 


■それから、この歌の最後には、

 


「どうにかなるさ」って言える あなたにとっての1が
見つかりますように 見つかりますように

 

秋田さんにとって、あなたが”1”であったように、あなた自身もあなたにとっての”1”を見つけてほしいと、そう歌っています。

 

この世に生きとし生ける者に共通しているのは、生まれていつか死んでいく、その間に現在も居るということです。また、そんなに大それたことではなくても、ほとんどの人は、何か自分の目標を持っていて、その目標を叶えるために何かを頑張って生きていると…そう考えると、つまりは誰もが皆、いつだって途中の場面を生きているわけです。

 

ただし、時には、自分が何のために生きているのか、自分は今何を目標としていて、何のため誰のために頑張っているのか見失うことがあったりします。今はしっかりと目標を持って生きている人だとしても、目標を見失ったことや生きる気力を失ったりしたことがあるかもしれません。

 

この歌における”1”というのが、目標やゴールを指す言葉なのだとしたら、そういう何かを見失いそうになっている人に向けて、”あなたにとっての1が 見つかりますように”と秋田さんは歌っているのだと考えることができます。

 


■その他、特にこの歌の歌詞で印象に残った部分を紹介しておきます。

 


世界に望み託す人には 世界は薄情に見えるものです
どうだっていいか

 


他人に期待する人には 他人は無常に見えるものです
勝手にしてくれ

 


悲観とは未来にするもので
そう考えると悲観しているだけましだと思いませんか

 

まず、秋田さんが書く歌詞には、時々こんな表現が出てきます。他の曲で、似たような表現を少し紹介してみると、

 


僕等の期待を 世界はよく裏切るけれど
期待していなかった喜びに 時々出会えるんだ
裏切られた事に胸をはるんだ 信じようとした証拠なんだ

【終わりで始まり】より

 


願わなきゃ傷つかなかった
望まなきゃ失望もしなかった

【ロングホープフィリア】より

 

要は、誰かに裏切られたのは、自分が信じようとしたらからだとか、未来に絶望したのは、未来に期待していたからだとか、そういう対比を歌うことで、その人のことを肯定するような歌詞が時々出てきます。

 

【1.0】でも、世界が薄情に見える=世界に望みを託している、他人が無情に思える=他人に期待している、悲観している=未来を見ている、というように肯定的に歌われていて、そういうもんだから、あなたは間違っていないんだよって、そう言ってくれているような気がして、救われるような気分になります。

 


それでも逃げ込める居場所を あなたを呼び止める声を
もうここで死んだっていいって 心底思える夜とか
報われた日の朝とか あなたにとっての1が
見つかりますように 見つかりますように

 

この辺りの歌詞を読んでいくと、”1”というものが、目標やゴールを指すのではなくてむしろ、自分のことを救ってくれる存在そのものを指しているんじゃないかとも思えてきます。

 

例えば、amazarashiにとっては、自分の楽曲を聴いてくれるリスナーだったり、そういう僕等にとってはamzarashiの音楽そのものが”1”になり得るかもしれません。

 

あるいは、”1”とは”イチ”…つまり”位置”と、これも安直にですが、こういう風に読んでみると、また少しこの歌に対する見方が変わってくるようにも思えます。